神谷バーと木村伊兵衛

 今日、久しぶりに浅草で親爺とお袋に会った。会うたび、年をとったなと思う。当たり前だ。僕自身がもう44歳である。
 いつもなら、会うのは決まって両親の住まい(神奈川県は相模大野)なのだが、今日は親爺のリクエストで浅草の神谷バーで昼食。神谷バーは、皆さんご存じのとおり、銀座線の浅草駅から地上に出たあたり、または東武線の浅草駅の目の前。何度も神谷バーの前を通ったことはあるのであるが、僕にとってもカミさんにとっても、中に入るのは本日が始めてだった。
 今の建物は1921年(大正十年)落成だそうだ。当時はさぞかしハイカラだったに違いない。
 会っても、いつもそんなに特別な話しをするわけではない。お互いの近況を伝えあう感じだ。でも今日は、いつも以上にお互いによくしゃべったような気がします。親爺が神谷バーでの食事をリクエストしたのは、電気ブランを飲みたかったから。親爺にとっては昔懐かしい味らしい。僕にとってデンキブランは、今日が初めての体験であった。最初はクセがある味だと思ったけど、飲みすすめるうち、美味しいと感じてくるから不思議だ。
 そのデンキブランが注がれているグラスには見覚えがあった。円錐形の小さなグラスで、神谷バーを象徴するグラスのかたちでもあると思う。
 ’90~’95年にかけて、僕は、仕事の都合で東武線に乗ることがともて多かった。その車内に神谷バーの広告がいつもあって、お店に入ったこともないのに、なんだか妙に郷愁めいたものを感じさせるとてもホッコリとしたデザインが印象的だった。その広告にデンキブランが注がれた独特の形状のグラスの写真が必ず入っていたので、その形はしっかり心の中に残っていた。
 だが、このグラスのかたちが印象的に記憶に残っているものがもう一つ僕にはある。数年前、カメラと写真への興味が非常に強くなり始めたころ、木村伊兵衛の写真集を手にとった。その中に「浅草」という作品があって、東武線の広告で見たのと同じ形のグラスが写っていた。1953年に撮影された作品だ。浅草であのグラスの形とくれば、神谷バーで撮影したに違いないと思っていたら、実際にそこで撮られていた。
 最近、自家現像に夢中になっており、自宅に帰ってから、木村伊兵衛のこのモノクロ写真を改めて眺めた。僕が生まれる前に撮られた写真だ。今ほどフィルムの質もよかったとは言えないだろうけど、その豊かな階調には驚くばかりだ。デンキブランを3杯飲みほし、帽子をかぶったままテーブルに頬杖ついてウタタネしている紳士にピタリと合ったピントと、背景の柔らかいボケ具合の間で、時間がとてもゆっくりと流れているようなそんな気持ちにさせてくれる。ライカの名手によって撮られたその写真を眺め直し、ずっと見ていても、飽きがこない素敵な作品だなぁと改めて思った。
 今日は、親爺も僕も、そのデンキブランを2杯にビール中ジョッキ1杯を楽しみながら飲み干した。つまみのカキフライの身がフックラしていて大きく、そしてとても柔らかく、本当にうまかった。
 あとこの先何年、親爺やお袋とこんな穏やかに流れるような時間の中で食事をしたり、おしゃべりしたりする機会を持てるだろうと今思っております。二人が健在な間にもっと親孝行しなくては。