帰ってきたLeica M3

12年目のオーバーホール

私がLeica M3を購入したのは2011年。銀座のカツミ堂写真機店。それからは週末に撮って、フィルム現像して、印画紙に焼いてフラットニングするという一連の工程をM3とFocomat, Valoyで楽しんできた(中判はハッセルブラッドですが…..)。M3の堅牢性は非常に有名。Leitz社がM3を販売していた当時は、戦場カメラマンが過酷な現場で常用していたことでも知られる。だから、週末に趣味の撮影に使う程度であれば、滅多なことでは故障したりはしない。

これからも長く使い続けるために

でも、何せ年代物のカメラだ。週末だけ使うといっても、12年も使い続けてくると少々不安になってくる。ファインダーはバルサム切れもなく非常にキレイな光学系を維持している。しかし、巻き上げノブが、購入時と比べて少し固くなって来た気がしていた。グリースの潤滑能力が落ちて来たのかも。もしかしたら目視では確認できない内部機構にも疲労が来て故障寸前の部位があるかもとも思い初めて、これからも長く使い続けるためにオーバーホールしてしっかりメンテしてもらおうという気になった。

久しぶりのカツミ堂写真機店

船橋に住んでいた頃は、Leica M3を持って都内にも撮りに行っていたりしていたから、銀座に来たらカツミ堂さんやスキヤカメラさんをちょっと覗いたりしていた。2015年に京都へ引っ越した後は、一度だけ銀座に来た時にショーウィンドウを見ただけ。何だか懐かしい人にでも会いに行くような気分で、かなり久しぶりにカツミ堂写真機店を再訪。

カツミ堂写真機店
カツミ堂写真機店

丁度よいタイミングだったのかもしれない。2011年にLeica M3を購入した時に応対してくれた店員さんが今もおられてチョットびっくりした。購入した時、まだあまりLeicaMシリーズのことを知らなかった私に懇切丁寧に扱い方を教えて下さった。その時、この店員さんがカツミ堂さんの歴史を語り出した。此方のお店を立ち上げたのが、コメディアンの萩本欽一さんのお兄さんであったことや、第二次大戦後に独Leitz社の日本での総代理店であったことや修理担当の方々がLeitz社でトレーニングされてドイツ本国と全く同一品質の修理対応をされていたことをお話し頂いた。

この説明で合点がいった。2011年当時、私は日本全国に仕事で出張に回っていて、仕事が終わると各地の中古カメラ店を巡って、状態の良いLeica M3がないかとずっと見て回っていた。そして、カツミ堂さんがLeicaの製品を戦後からずっと販売されて来ているとは全く知らずにお店に入った時は、本当に驚いたことを今でも思い出す。もう、ショーケースに並べられていた各種M型Leicaのクオリティーがとにかくよかった。日本全国のカメラ店で色々なLeicaM3の個体を見せてもらっていたから、それらと比べてこれは本当に中古品なのかと思わずジィーッと見入ってしまった。

やはり、LeicaM3を購入するべきはカツミ堂さんしかないとということで、1966年製(私と同い年)のM3を購入した。

購入して以降、特に大きなトラブルもなく使ってきた。このブログの履歴をご覧いただければお分かりの通り、日本国内だけでなく、台湾やスイスなど色々な旅先、出張先のお供として13年以上付き合ってもらって来ている。

が、最近ちょっとシャッター押した時に違和感まではいかないけど、ちょっと引っ掛かるような感じがして来て、一度しっかりメンテナンスしてもらうことにした。’24年9月に東京へ仕事で出張に行った時にカツミ堂さんに預けた。

再びアナログも楽しむ

M3が手元に帰って来てくれたのは年末になってから。また再びアナログライカとデジタルライカを楽しめるようになった。

Focomat IIc, Focomat Ic with Leica M3.
Focomat IIc and Valoy II with Leica M3.

これからも、週末お散歩スナップに、旅先スナップにと、末長く付き合って行きたいものである。

帰ってきたM3と年末年始フォトウォーク
帰ってきたM3と年末年始フォトウォーク