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今から33年前、仕事で千葉から西日本に出張に行くことが多くなって、更にヨーロッパ、北米、アジア各地で出張に出る日々が始まった。一時期欧州の本社研究所で自分以外誰も日本人がいない職場に長逗留していた時期もあった。当時は仕事最優先で考えていて、土日も将来のための勉強に勤しむことが多かった。カメラや写真には全く興味がなかった。というより休みの日の趣味のことを考えられるほど余裕がなかった。写真に非常に興味を持つようになってから、西暦2000年前後にヨーロッパ生れの上司の家に何度か招待されて行ったとき、リビングに飾ってあったあの写真はドアノーのオリジナルプリントだったのではと振り返ったりもする。ヨーロッパでは、写真を油絵や日本画と同じように芸術作品と自分で楽しむために購入して自宅に飾って見る人が結構多く、今から考えるとそういう文化に触れる機会があったのにと、ちょっと勿体ないことをしたとも思う。でもまぁ、あの当時仕事を頑張ったからこそ、今仕事が休みの日の趣味として写真やカメラを楽しんでいられるとも言えるのだからよしとしたい。
今まで勤務先は何度か変わったものの、西日本各地のお客さんとの信頼関係は変わらず、千葉県船橋市の自宅から出張で中部地方から九州各地の色々なお客さんところに行って取引をどんどん増やして行った。そして、今から12年くらい前になるが、前職の社長から西日本に根を下ろすことを勧められた。その頃になると気持ち的に余裕が出てきていて、週末は写真撮影を楽しんだり、都内に写真展を観に行ったり、カメラ店を巡ったりと写真とカメラにドップリとハマりつつあった。西日本ならどこへでも好きなところに引っ越してよいとも言われたので、京都は元々好きな場所でもあったし、西日本に元々親戚が多かったこともあったのと仕事の利便性も考えて船橋の自宅マンションを売って、そのお金で京都に家を買った。家内も大阪の大学を出ていたので、この移住には大賛成だった。
特に私は風景撮影が好きになっていったので、出張で東京駅から新幹線に乗って移動していた時にも、パソコン作業中に一息つくと、自然と車窓を楽しむようになっていた。駆け出しの頃はそんな余裕はなかった。そんな冬のある日、乗っていた新幹線が滋賀県内を走行中に気が付いた。その日は12月で、西高東低の冬の典型的な気圧配置になっていて、その年最初に冬将軍がシベリアからやってきて、東北から北陸と滋賀県北部までが雪で覆われた。関ケ原の手前で雪が降り始めて、米原駅を過ぎたあたりで青空が見え始めた。そして近江八幡付近の空を見て初めて気が付いた。北陸地方独特の、冬に何度も嫌というほど見せられるあの分厚い鉛色の雲。冬将軍が運んできたあの陰鬱な気持ちになりそうな鉛色の雪雲の最南端がそこにあったのだ。鉛色の雲の最南端部….それすなわち”北陸地方の南限”と言える。その日の北陸南限は近江八幡付近にあったというわけだ。今振り返ると、それが最初のきっかけだったわけで、冬将軍と鬼ごっこをしながらの光遊びがそこから始まった。
西日本への移住が決まったのは2014年の9月。そこから半年ほどかけて西日本各地で家探し。最終的に決めたのが京都市下京区だった(その後引っ越して、今は東山区)。その頃、デジタルカメラの性能はドンドン上がっていき、ダイナミックレンジの広さという点ではフィルムを凌駕していった。私の場合、デジタルカメラで撮る写真も好きなのだけど、その一方でフィルムカメラ撮るのも変わらず好きだった。デジタル機で撮るほどシャープではないけどモノクロフィルムで撮ってバライタ紙に焼いた時のあの少し柔らかい感じはすごく好き。デジタルで撮るのとは別に、フィルムにはフィルムの楽しさがある筈と思っていた時に、以前新幹線で滋賀県を通過中に見た鉛色の雲の最南端部のことを思い出した。
「冬将軍が運んでくるあの鉛色の雲の最南端部の下で、モノクロフィルムで撮ったら面白いかも」
と思った。では、その最南端部はどの範囲にあるのか? それは、冬の季節の気圧配置次第と言える。時には富山県や能登半島。またある時は金沢付近であることもあれば、福井県内や滋賀県北部であることもある筈。そう、そのカバー範囲はかなり広い。そう思うと、なんだかとてもワクワクして来た。
京都に引っ越してきて10年が経った。その間の週末、冬将軍が南下して攻め入ってきたタイミングで撮った写真をいくつかご紹介しましょう。
一時期、福井県に毎週のように出張に行くことが多かった(今も時々行く)。11月や12月前半、福井県の白山連峰の麓の方は霧に覆われることが多く、特に雲海に浮かぶ大野城の姿は有名で、私もその「天空の城」を撮りたいと思っていたので、出張が木、金になるとそのまま週末も福井にとどまって大野城に向かった。でもそんなに都合よく霧は現れてくれない。何度も空振りに終わった。でも何度も福井県大野市に通ううち、霧が出やすい気象条件がだんだん分かって来た。そして、その季節最初の寒気が入って冬将軍が白山連峰南部に初冠雪をもたらした日の翌朝の早朝、西高東低の気圧配置が緩んで放射冷却のようになった朝、大野に行って撮ったのがこの一枚;

Carl Zeiss Planar C80mm T*
NEOPAN Across100
厳密に言えば、鉛色の雲の最南端部で撮ったとは言えませんが、冬将軍が来なかったら撮れなかった一枚ではあったと思います。
冬の週末のある日、北陸各地や滋賀県の余呉や米原辺りまでがドカ雪となっていて午後から天候が回復するという天気予報だったので、京都からJR東海道線に乗って北上していけば、鉛色の雲の最南端部を確認出来るかもしれないと思った。実際に乗ってみると野洲駅を出て暫くしたら青空の先に鉛色の雲が見え始め、彦根駅を下りて撮影したのがコレ↓

Carl Zeiss Distagon C60mm
ILFORD Delta400 Pro.
彦根駅を下りた時はまだ雪が降っていたが、暫くして冬将軍が北方に退却を開始したため徐々に晴れ間が広がり始めた。この写真はまだ鉛色の雲が残っていて、直射日光ではない軟らかい光の環境下で撮影出来た。
西高東低の気圧配置が続いて強い寒波が来週。この時は冬将軍が京都付近まで南下。京都市内でも金閣寺や鞍馬寺の辺りが雪化粧となった翌朝、冬将軍が福井の方に退き始めたタイミングで撮ったのがこちら↓

自宅周辺は雪が積もってはいなかったが京都市のすぐお隣の比叡山は全山冠雪。この写真と撮りながら、一般的に北陸地方は福井県が南の端だけど、北陸独特の鉛色の雲が下ってくる最南端は、嵯峨野・金閣寺から鞍馬、大文字山を抜けて山科の辺りだと思うようになった。この写真を撮った後も、例えば真冬に大文字山の火床に上ってみたら、京都市上空が北陸特有の鉛色の雲で覆われているが、その先の大阪方面には真っ青のカラッとした太平洋側の冬晴れ青空が見えるということもあった。京都に引っ越して以来、そのような状況に実際に遭遇したことで、北陸地方の本当の南限は京都だという思いを強くして行った。
幼少期の夏休み、年の近い従兄弟も一緒に叔父の車に載せられ、能登半島一周旅行に出かけることが結構あった。見附島周辺の綺麗な海で泳いだり釣りを楽しんだりして、能登半島は私が幼少期の思い出が沢山詰まっている。見附島はあの独特の景観が印象的でとても好きな島。3月となり、冬将軍がシベリアに帰っていく時に撮った↓

Lens: Carl Zeiss Planar C80mm
Film: ILFORD Delta400 Professional
2024年1月1日、あの日私は金沢にいた。自分自身も震災直後は建物がから出られなかったし、暫く電気も停止。復旧してからニュースを見て珠洲市をはじめ、能登半島の皆さんが大変なことになっていることを知った。見附島も大破。震災後暫くの間はあまりのショックで写真を撮りたいという気持ちを失いかけたが、今は落ち着き、今のありのままの姿をまた訪れて撮りたいと思っている。かといって、現地の状況の詳細を分かっていないまま行くわけにはいかないと思っており、次回石川県内に出張となったら、能登半島の道路状況や宿泊できる場所の情報を先ずは集めてみるつもり。
見附島がある珠洲市から海沿いに南下して行くと、だんだんと立山連峰の峰々が大きく見えてくる。そして、その景色は富山県は高岡市の雨晴海岸で最高潮に達する。立山連峰を背景とした写真をまた撮りに行きたい。

これまで通りHasselbladでも撮っていくが、今後冬将軍との鬼こっごを繰り広げる時のお供は、フィルムカメラに関してはLeica M3とMP (0.85)が主役になっていくと思う。今年、Leicaがその長い歴史の中で自社ブランドの135フィルム、MONOPAN50を発売したから。今現在はこのフィルムを現像する現像液を色々と試しているところで自分の作品作りに合った現像液を探索中。そしてもう一つはデジタル機のLeica M11 Monochrom。フィルムとデジタルの両方で冬将軍との鬼ごっこと光遊びを大いに楽しんで行きたい。

Leica M11 Monochromで撮影
MINOCAME 
