私の両親は、金沢生れ。父の実家は、泉鏡花記念館や柳宗理記念デザイン研究所の近く。母の実家は、浅野川を挟んだ反対側にある徳田秋聲記念館の近く。幼稚園生や小学生だった頃、両親が帰省する度に金沢について行って、従兄弟達と一緒に朝から夕方まで浅野川で毛鉤釣りを楽しんでいた。釣果があると、あかり坂や暗がり坂を上って、父方の祖父母に見せに行く。そして再びどちらかの坂を下って母の実家に行き、晩ご飯準備中の祖母や伯母、母に「天ぷらにして」とか言っていた。
今からもう50年以上前のお話だ。最近、金沢に行くと当時のことを懐かしく思いながら、両方の坂周辺で写真をよく撮るようになった。
私が幼い頃、主計町の茶屋街と下新町を結ぶ二つの坂に「あかり坂」や「暗がり坂」という名前があることは知らなかった。私にとっては、両親のそれぞれの実家を行き来するための坂道でしかなかった。最近、ネット検索で金沢の情報を色々見ていた際に、あかり坂という名前は、作家の五木寛之が「金沢あかり坂」という小説の中で「あかり坂」と名付けたと知った。2008年というから比較的最近であり、私が子供の頃に上り下りしていた時にはこの坂道に特に名前はなかったということだ。
この坂の前で最近撮った一枚;

金沢 主計町 あかり坂前
すき焼きレストラン「八巻」の提灯が印象的。Leica M11 Monochromが発売となった時、ほぼ時を同じくして発売となったPENTAX K-3 Mark III MonochromeのウェッブサイトにあるGalleryを見に行ったら、写真家:井津建郎さんがこの見覚えがある提灯をお撮りになった作品があって、ちょっとビックリした。
こちらは、4月のはじめに浅野川縁で夜桜を愛でた後にちょっと撮ってみた。
2015年に千葉県船橋市から京都に引っ越してきた時、最初に選んだ家は、少なくとも明治初期か江戸の末期にはそこにあったことが筆書きの登記簿から確認できた古い京町家をリノベした下京区の物件だった。住み始めて特に不自由は感じなかったが、住み始めて4,5年が経ったころから家内から寒さに耐えられないという不満の声が漏れ始めた。あとは将来のこと。年齢のことを考えると、年上の私の方が先にいつかは逝くことになる可能性が高い。今はよいが、元々古い家をリノベした物件でもあるのでこの先10年、20年経ったときの家屋の劣化・再修理の可能性を考えると、家内が不安になるも無理はない。
二人で話し合った結果、現代的な造りの家に引っ越す決意をした。引越し先を選ぶ時の私の希望として
- ライカストア京都から徒歩圏内
という冗談みたいな条件を家内に出したのだが、家内はそれをアッサリと了解してくれた。ライカストア京都に近いということは、東山区ということになる。ライカストアに近いところに住みたいという言い方をしたが、要はどうせ住み替えるのであれば、金沢市街の浅野川周辺の雰囲気に近い場所に行きたいという思いがあったから。京都に住みたいという皆さんには、それぞれ色々な理由があると思うが、私の場合はやはりあの金沢は浅野川縁の風情に似た雰囲気に惹かれたということになる。宮川町の通りの感じは、金沢のひがし茶屋街や主計町の茶屋街の感じに近いし、浅野川周辺の黒い瓦屋根の連なりは、鴨川沿いのそれに似ている。
京都はインバウンド客であまりにも一杯で、すっかり騒がしくいつ行っても酷い混雑になってしまったから、もうあまり訪れたくないという人々もいるが、そのようなマイナス面を考えても尚、私の中で京都が嫌いになるということはあり得ないし、住み続けたいと思う。

京都 東山区 宮川筋
MINOCAME 



