令和6年(2024年)能登半島地震に遭遇

忘れられない2024年1月1日(月)元旦

 この先、今年のお正月3日間で体験したことは、決して忘れられない、絶対に忘れてはならないものとなる。

 両親の実家があり、私の生誕の地でもある石川県は金沢で正月を迎えた。宿泊したホテル近くの尾山神社に初詣に行った。幼稚園生から中学生の頃まで、夏休み、冬休み、春休みはいつも両親の実家がある金沢市や能登半島各地で過ごしていた。いつもなら、インバウンドの外国人が非常に多い金沢。お正月でも海外からの観光客は来ているが、さすがに少なめ。母の実家は、ひがし茶屋街からすぐ近くの東山一丁目。父の実家は、ひがし茶屋街がある地区とは浅野川を挟んだ対岸にある主計町の隣にある尾張町。前田家によって整備された加賀百万石の時代から続く金沢らしい風情が最もよく残っている地域の一つ。そんな伝統的な雰囲気が残る金沢で正月を迎える久しぶりの感覚。

令和6年1月1日 久しぶりに生誕の地である金沢で初詣。
2024年1月1日
久しぶりに金沢で初詣。晴天に恵まれた。

 2024年の元日の朝、尾山神社に初詣に行った際には、家内や母、弟、親戚の健康を祈願しつつ、また北陸各地や京都で素敵な写真を撮らせて頂きたいと祈願した。

 しかし元日の午後、そんなお正月気分が吹っ飛ぶ事態が起きた。大きな激しい揺れが突然襲ってきた。金沢市内の路上にいた私は周囲の電柱や住宅、建物が大きく揺れているのを目にしつつ、脳裏には珠洲や能登半島各地の風光明媚な風景がよぎった。ここ数年、能登半島の珠洲周辺で地震が頻発していたので、今自分を襲っているこの激しい揺れの震源が珠洲なのではないかと思ったのだ。写真撮影が趣味の私は、ここ数年幼少期の夏休みの思い出が沢山詰まっている能登半島各地に撮りに行っている。特にコロナ感染拡大以降、富山県や福井県に出張に行くことが多くなって、金曜日が北陸へ出張になると、そのまま土日はレンタカーで能登半島各地へ撮影に出掛けることが多くなっていた。

2024年1月1日 令和6年能登半島地震が発生した直後の金沢市街中心部
2024年1月1日 令和6年能登半島地震が発生した直後の金沢市街中心部

 特に珠洲にある見附島には何度も撮りに行っている。幼少期、叔父が運転する車に歳が近い従兄弟たちと一緒に乗って、珠洲周辺の海まで行って海水浴や釣りを楽しんでいた。

能登半島各地に甚大なる被害

 テレビの報道を見てショックを受けた。沢山の家屋が倒壊し、津波が襲ったとみられる能登半島各地の様子がニュースで映った。大好きな軍艦島(見附島)も大きく崩落。横から見たときに台形の見附島が、三角形になってしまった。先端部と後部が大きく崩落したのだ。

 地震発生時に断層が大きく動いた影響か、場所によってはかなり隆起して、海岸線の一部で、今まで海だったところが陸地になってしまった場所もあるようだ。

 能登の銘酒蔵、宗玄が今どのような状況にあるのかも心配だった。見附島近くの酒蔵である宗玄は、260年の歴史を有する奥能登最古の酒蔵。前回能登半島へ車で撮影に行った時にも宗玄でお酒を購入したし、金沢駅のお土産コーナーでもよく宗玄のお酒を買っている。非常に心配。

2023年3月に宗玄酒造さんに行きました。
2023年3月に宗玄酒造さんに行きました。

 輪島周辺の海にも子供の頃から釣りや海水浴に行っていたし、最近も撮影に行ったことがある。各報道機関とも能登半島全体で既に多くの方々がお亡くなりになっていることを伝えている。心からお悔やみ申し上げます。

 金沢から珠洲や輪島に行くときには、いつも『のと里山海道』を利用していた。のと里山空港ICで下りて、IC近くのファミリーマートで一服し、そこから目的地に向かっていた。その海道が非常に大きな被害を受けている映像を度々テレビのニュースで見た。のと里山空港の滑走路も被害をうけて復旧には時間が掛かりそうということで、空港にとり残された方々は、この道路が復旧しない限り脱出はかなり厳しいと思う。なんとか一日も早く移動手段が見つかることを願うばかりだ。

 お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申しあげますとともに、被害にあわれた皆様、ご家族の方々にお見舞いを申しあげます。

先ずは食料確保

 金沢市内のホテルに宿泊していた私が、震災直後に真っ先に思ったことは

「とにかく食糧確保」

 大きな震災によって、当面鉄道も道路も不通となって金沢市街から出られないかもしれないと思ったからだ。ということで、コンビニに直ぐに向かった。皆考えることは同じ。お正月だから開店している飲食店も少なく、私と同じようにホテルに宿泊していると思われる観光客が買い出しに来ていた。直ぐに北陸線が復旧するかもしれなかったが、とりあえず3日分程度のカップ麺、水、牛乳、野菜ジュース、レトルト食品などをまとめ買いしてホテルに戻った。

令和6年能登半島地震に金沢市で遭遇。まずは直ぐにコンビニで食料を確保した。
令和6年能登半島地震に金沢市で遭遇。
まずは直ぐにコンビニで食料を確保した。

不安そうな外国人観光客の皆さん

 ホテルに戻ったら、ロビーに大勢の外国人観光客の皆さんが集まっていた。そりゃそうだ。日本人の私は、東日本大震災をはじめ、大きな地震の揺れにある程度の慣れているが、初めてきた日本でいきなり大地震に遭遇した皆さんはもう恐怖の只中であったろう。私が宿泊していたホテルは高層だったので、上の方の階にいて震災を体験した人達は、尚更揺れが増幅された中での初遭遇となった人もいただろうから、尚更大変な思いをされただろう。旅程は大幅変更になった筈。無事に帰国されることを願うばかりであった。

2024年1月2日: 余震が続いていた

 余震が続いていた。私が宿泊していた金沢市街中心部(香林坊近く)のホテルはエレベーターが使えなくなっていた。私の部屋は11階。コンビニに買い物に行ったりする度の上がり降りは大変だったが、普段運動不足だったから、ある意味丁度よい機会と思うことにした。

 ずっとテレビのニュースを見続けていたら、北陸新幹線やサンダーバード号、しらさぎ号が2日のうちに復旧する見込みとのテロップが画面に出た。ならば、2日のうちに京都に帰ろうかとも一瞬思ったが、考えることは皆同じ。きっと皆早く石川県から脱出したいと考えるだろうから、金沢駅には私と同じようにニュースを見た人たちが駅に殺到してきて、京都・大阪方面のサンダーバード号の切符はなかなか取れないだろうと推察。焦ると結果がいつもろくなことにならなかった私は、ちょっと一呼吸おいて、3日の朝に帰ろうと決めた。

災害時にもJR西日本のWESTERの便利さを実感

 3日に帰ろうと決めた直後、スマホでWESTERアプリを開いた。WESTERのよいところは、金沢ー京都・大阪の間については、乗車券も特急券も発券が必要ないこと。また割引もある。2005年に千葉県船橋市から京都に引っ越した後、ずっと新幹線予約はJR東海のエクスプレス予約だったし、JR東日本のSUICAカードもずっとそのまま使ってきていた。転機になったのは、JR西日本のモバイルICOCAを使い始めたこと。福井や富山に出張仕事に行くことがぐっと増えたので、J-Westカードも作った。サンダーバード号の場合、乗車券は買わずにモバイルICOCAで、特急券はWESTERのサイトからeチケットレス特急券を購入。これで切符の発券は必要ない上で、通常の切符を発券して購入する場合よりも割引が効く。

JR西日本 WESTERの予約画面。
WESTERで無事にサンダーバード号を予約出来た。

 そんなに便利に予約出来るのであれば、2日のうちに帰ればよかったと言われるかもしれないが、大混雑確実の状態で帰るのは避けたかったし、通常のダイヤではない状態ではかりに予約を入れても後々面倒なことになる可能性もあると思い、やはり3日の朝に帰ることにした。

震災直後の荷物発送

 年末の仕事を終えてそのまま休暇となった私は、カジュアルな服装と別にスーツと革靴を持ち歩いていた。非常時でもあるので出来るだけ身軽にしたいと思い、ホテルのフロントに行って、ダンボール箱を購入して宅配便で発送出来ないか聞いてみた。箱は購入出来たが、震災の影響で道路が寸断されているのでゆうパックもクロネコヤマトも受け付けられないと言われてしまった。もしかしたら、ヤマト運輸の集配事務所に直接行ったら受け付けてくれるかもしれないと思い、香林坊近くの片町にあるヤマト運輸の事務所に行ってみたが、↓ご覧の通り全面的に受付停止状態であった。

 結局、嵩張るが大きな紙袋にでもスーツと革靴を入れて持って帰るしかないかと諦めかけた。そうしたら家内からLINEメッセが来て、金沢中央郵便局ならゆうパックを受け付けてくれるようだとの連絡が来た。これは有難い連絡。

 ホテルから金沢郵便局までは約1km。それほど遠くはない。ダンボール箱に送るものを入れて、郵便局まで担いで歩いて行った。大震災直後だし余震が続いていたので、京都の自宅への届け日指定は当然出来なかったが、腐るようなものではないので、遅れて配送されても全然問題なし。荷受けしてくれただけでもホント有難かった。災害時の荷物の発送は、クロネコヤマトよりもその地域にある郵便局(集配局)に行くべきと悟った。

2024年1月2日 金沢郵便局から発送した時の送り状
2024年1月2日 
金沢中央郵便局から発送した時の送り状

金沢市中心部の様子

金沢駅

 金沢中央郵便局から金沢駅はそう遠くない。荷物を発送した後、そのまま歩いて金沢駅に様子を見に行ってみた。そうしら、やはり推察通り大混雑だった。復旧した東京方面の北陸新幹線も京都・大阪方面のサンダーバード号も、すでにどの列車も満席。それでも、みどりの窓口は依然として長蛇の列だった。やはり、早めに翌日3日朝のサンダーバードを予約して良かったと思った。

令和6年能登半島地震の翌日。復旧直後の金沢駅は大混雑(2)
令和6年能登半島地震の翌日。復旧直後の金沢駅は大混雑(1)
令和6年能登半島地震の翌日。復旧直後の金沢駅は大混雑(3)
大震災の翌日’24年1月2日。
復旧直後の金沢駅でメディアから
インタビューを受ける人も。

金沢城址

 金沢駅の様子を見終わって、ホテルにはバスで戻ろうとしたら運航停止であった。珠洲、輪島、七尾など能登半島各地の甚大な被害を受けた地域に比べれば、金沢はまだ比較的被害が少ない場所ではあったかと思うが、路面状態の確認をして安全を確保出来るまで運行しないということだったのだろう。タクシーは利用可能ではあったが、結構人が並んでいたし、普段運動不足なので、歩くことにした。金沢駅前から近江町市場の方に行って、そこからお堀通りに出て、金沢城址の周囲をグルッと一周する感じで歩いた。

 ちょっとショックを受けた。子供の頃から見慣れた金沢城址の石垣の一部が崩落していた。それだけ強い地震だったということだ。

金沢城址にて。石垣が数カ所で崩落(1)
金沢城址にて。石垣が数カ所で崩落(2)
金沢城址にて。石垣の一部が数カ所で崩落

尾山神社

 お堀通りに面した東神門から尾山神社に入った。東神門の階段脇の石の欄干や尾山神社の摂社 金谷神社の灯篭が倒れていた。元日にも初詣で訪れたが、ホテルに戻るのにはここを通り抜けた方が早かった。拝殿前には、夕方の時間帯になっていたが、依然として非常に多くの参拝客が並んでいた。毎年ここへ、家族や友人の幸せ願って参拝に来る人も多いだろうが、この日はきっと前日に起きた大地震の影響を受けた石川県各地の人達のことを思いながら、一日も早い復興願う人も少なくなかっただろう。

 

2024年1月3日: 帰宅(金沢⇒京都)

金沢駅

 朝7時台のサンダーバード号に乗車するため、早めに起きて金沢駅に向かった。予想した通り、昨日の北陸新幹線、北陸線の復旧直後の駅構内に比べるとずっと落ち着いた感じだった。

 ただ、元日の震災直後に発生した天井の水漏れは修復しきれていなかった。お正月だし、業者さん達もまだお休みだろうしそう簡単には復旧できないのだろう。改めて、今回の地震の規模の大きさを実感した。

2024年1月3日 金沢駅にて
2024年1月3日 金沢駅にて。元日の大震災の爪痕が依然残っていた。天井から水漏れ.。

サンダーバード号

 やはり、一呼吸おいて復旧した当日ではなく翌日早朝の列車にしてよかった。↓この写真は、金沢駅を出発した直後に撮った写真。私が乗った11号車は、私以外では2組のみ。ガラガラだった。大勢の人たちが、一日でも早く石川県から脱出したいと思って昨日のうちに金沢から出発していったのだろう。自宅がある京都まで、ある程度リラックスしながら帰れたが、車内ではずっとスマホ片手に能登半島の最新状況を伝えるネット情報を見続けていた。

2024年1月3日 7時15分金沢発のサンダーバード号車内
午前7:15 金沢駅を発車した直後のサンダーバード号車内。がらがら。

 無事に京都に着いた。能登半島各地で被災された皆さんのことを考えると申し訳ない気持ちにもなったが、先ずは無事に帰れて一安心した。

無事に京都駅着
無事に京都駅着

金沢からのゆうパック

 自宅に戻って暫くしたら、宅配がきた。なんと昨日金沢中央郵便局から発送した荷物がもう届いたのだ。道路が多数寸断されているのは金沢よりも北側。金沢から南へ向かう物流は当面問題はないということなのだろう。いずれにしても、この非常時に迅速に配送してくれた日本郵便には感謝である。

相当に時間が掛かるだろうと思っていたら、発送の翌日に自宅に到着。
時間が掛かると思ったゆうパック。
非常ににも関わらず発送の翌日に
自宅に配送。有難い。

京都大丸の宗玄 試飲販売会へ

 昨年お盆休みの間に訪れた宗玄さんのことがとても気になって珠洲市関連のネット検索をしていた時、自宅から比較的近い京都大丸で、1月2日から宗玄酒造のお酒の試飲販売会が行われていると知った。金沢から帰宅して、荷物整理して遅めの昼食をとって、京都大丸の販売会の会場に向かった。商品を買うことで、少しでも復興支援になればという思いからだった。

京都大丸の宗玄 試飲販売会の会場
京都大丸の宗玄 試飲販売会の会場

 行った時には既にお酒は全て売り切れていた。大丸のスタッフの方のお話では、宗玄の営業の皆さんは地震発生後に金沢に戻られたそう。宗玄酒造のウェッブサイトやSNS上では地震発生後何も更新や新しいコメントが入っていなかったのでとても心配していたが、営業の方は既に珠洲側の皆さんと連絡がとれたとのことだった。これからも難局を乗り越えられて皆さん全員のご無事で過ごされることを祈るばかりである。

一日も早い復興を

 今もなお、避難所にいらっしゃる方も多いし、救援物資が十分に届いていない地域も多い。子供の頃から見てきている、能登半島各地の美しい風景や町並みがまた必ず戻ってくると信じる。

 私自身は、最近北陸への出張仕事が入ることが多くなってきている。出張が週末にかかる場合で時間がとれる時には、出張先からレンタカーでも借りて何らかのかたちで支援もしたいし、被災地に行って宗玄のお酒や地の物を購入することでも支援に代えたい。

 亡くなられた皆様にはご冥福をお祈り申し上げ、少しでも早い復興を願い続けます。