天王寺七坂と新世界 撮影会+作品講評会 (三重露光)

 先月の15日、篠原カメラさん主催でソラリスさんで開催された第2回「駄カメラ写真グループ展・大阪」に合わせて行われた赤城耕一X戸澤裕司「天王寺七坂と新世界 撮影会+作品講評会」に参加した。とても楽しい撮影会、講評会だった。その後の懇親会でも先生方やフィルムカメラ好きな皆さんと色々なお話が出来てよかった。

 フィルムカメラが好きな皆さんが参加されていたが、撮影会後にすぐ作品講評会があったので、フィルムカメラでの撮影ではなく、デジタルカメラでの撮影であった。SONY αIII + 球面Summilux 35mmにするか、EOS6D + Sigma 50mm F1.4 EX DGで参加するか悩んだが、後者にした。過去及び今回参加した東京及び大阪での駄カメラ写真展で出品した作品は、すべて多重露光。よって、この展示会では、「MINOCAMEは多重露光の人」という固定観念が出来上がっているので、パソコンで編集しなくてもカメラそのものに多重露光機能が付いているEOS6Dで撮影会に参加した。

 ↓作品講評会に提出した3作品のうちの一枚。EOS6Dの多重露光機能を使って、新世界周辺で見つけた3つのシーンを重ねて三重露光とした。

 小・中学生の頃、夏休みと冬休みの多くは北陸と関西で過ごすことが多かった。当時、神奈川県の小田急線は相模大野駅の近くに住んでいて、休みになると、まず両親の実家がある石川県の金沢市へ。親父は尾張町、お袋は東山の出身。両方とも今はとんでもない観光スポットになっていてビックリである。浅野川で毛鉤釣りしたり、能登半島の海へ海水浴に行ったり、冬は皆で越前蟹を食べたり、自由軒に食事に行ったり.....。そしてその後は、一つ年上の従兄と叔父叔母等と、彼らが住んでいた大阪府堺市に向かった。金沢からL特急、雷鳥号(現:サンダーバード)に乗り、大阪駅へ。そこから地下鉄で難波に出て南海電鉄で堺東駅まで.......。なので、私にとって、難波周辺は幼い頃の思い出が一杯詰まった場所。

 特に新世界の周辺は、当時子供からみてもちょっと危ない雰囲気が一杯で、一つ上の従兄や叔父・叔母から、一人では絶対に来てはいけない場所だと言われた記憶が今でも記憶にしっかり残っている。

 難波駅もとても好きな場所だった。従兄の家に向かうターミナルゲート。またどんなドキドキワクワクがあるんだろうと、楽しみなことに向かう始発駅だった。車窓もよかった。当時南海ホークスのホームスタジアムが難波駅に隣接していて、それを眺めながら南海電車がゆっくり動き出す時間が好きだった。

 ......人生の前半は東日本と北海道で過ごした。仕事の都合もあり、僕ら一族のホームグラウンドである関西各地と北陸にいつでも行ける京都に住めるようになったこの幸運が、ずっとずっと長く続いて欲しいと、改めて思う。