3年ぶりだった今年の祇園祭。前祭の宵山や山鉾巡行は、NHKの生中継も入っていたし、近畿以外からの観光客も相当いたとみられ人出が凄かった。一方、後祭の観衆はどちらかといえば京都市民中心。2019年に観た後祭の宵山はとてもゆったりとしたものだった。でも、今年の後祭はちょっと違っていた。
今年の後祭には、大きな話題があった。196年ぶりに鷹山が復活。応仁の乱以前から巡行していたとても長い歴史がある曳山であったが、文政年間の祇園祭(1826年)の際に大雨で大きく破損。さらに幕末の蛤御門の変で保存されていた資材が消失。1826年以降、宵山で御神体をお飾りする居祭は続けられていた。そしてついに’14年に囃子方、’15年に一般財団法人鷹山保存会が設立されて、復活に向けて本格的な準備開始。
私は京都に引っ越して来て2016年に初めて後祭の宵山を観たのだけど、その時点ですでに鷹山保存会の皆さんが復活に向けた活動をされている姿を拝見したことがある。鷹山に関する昔の記録が殆どなくなってしまっている中での復活の準備、本当に色々なご苦労があったことと思う。
私は「よそさん」だけど、京都生まれでずっと祇園祭を観てきている市民の皆さんにとっても嬉しいニュースの筈。烏丸御池駅から近いところで、鷹山の山建てが始まると各メディアの取材や中継が入って、宵々山のころになるとかなり大勢の見物客で一杯になり始めて、例年の後祭のあのユッタリと宵山を楽しむという感じではなかった。
今年初めて後祭の巡行を観に行った。行った場所は、京都市庁舎前の交差点。御池通りから河原町通りに向かうために各曳山が辻回しを行って方向転換するあたりで拝見した。鷹山の巡行の番となり、新町通りの方から市庁舎前にやって来た時はちょっと驚いた。やっぱり一際大きい。とても立派な曳山。屋根は木の地肌が見えているが、大破する前の元々の鷹山の屋根は黒漆塗で金の装飾金具で彩られていた豪華なものだったそうだ。きっとこれから毎年少しずつオリジナルの鷹山に近づけるべく装飾品が増えていくと思われ、この点来年以降も鷹山を観に行って、装飾の変化の様子を是非拝見したい。
橋弁慶山を先頭に、全11基の曳山が巡行した後祭り。殿は、大船鉾。文字通り、前祭の船鉾と比べるとかなり大きく感じた。一番最後に辻回しを終え、風に吹かれて去っていくその姿は、大海原を突き進む大船そのもの。凄く勇ましい。鷹山が非常に注目を浴びた今年の後祭ではありましたが、前祭も含めて各山鉾町の保存会の皆様、ご関係の皆様に全員に、古より受け継がれてきたまさに動く美術館の品々を披露頂いたことにお礼を申し上げたい。
また来年も、従来通りの祇園祭の巡行が開催されることを願うばかり。