田沼武能さんの解説

  やっと冬休みになってくれたという感じです。
 昨日で今年の仕事は終わり。今日から、我が家では年末の大掃除。今日、カメラの手入れをしたり写真の編集をしたりする机と、カメラ、カメラ機材、写真集や写真雑誌をズラッと壁一面に並べるための棚を搬入予定です。
 搬入前に写真を整理していてる途中、CAPA2008年10月をパラパラと見ていると、田沼武能さんが木村伊兵衛さんの写真を解説しているページにあたりました。田沼さんは、弟子をとろうとしない木村さんに断られながらも、あきらめずになんとか木村さんの押かけ助手になるかとができたそうだ。
 アサヒカメラが毎月連載している「木村伊兵衛のこの一枚」も、田沼さんが写真を選定されておられる。

 前回の投稿でお伝えしたとおり、今私は木村伊兵衛さんのエッセイを読んでおります。木村伊兵衛さんが1930年代当時、
 「写真家として出発することができたはじめてのまとまった仕事」
 として語っておられるのが文芸家肖像展。木村さんは、これらの肖像写真が、単なる肖像写真と異なっている点は報道写真的要素が加わっていることだと述べている。当時の肖像写真というものは、静止させたポーズと定まり切ったライティングによって出来上がっていたそうである。つまり、人形的な写真で、写されている人物の内面までをも描き出すには至っていないというのが木村さんの当時の見方だったそうだ。それに対して木村さんは、人の人格が滲み出るような写真を撮りたかったそうで、それがライカとの出会いにより実現した様子が語られている。
 そのような木村伊兵衛さんの写真に対する考え方を伺わせるエピソードが、CAPA2008年10月で、田沼武能さんが語っておられる。
 田沼さんの解説によれば、首相になった池田勇人氏を撮る仕事が入ったとき、木村さんは撮影地である箱根に田沼さんを呼び出して、田沼さんにスーツ姿の池田勇人氏の写真を撮らせたそうだ。そのとき、木村さんは撮影の様子を田沼さんの隣に座って眺めていただけだそうだ。ところが首相の和服姿を撮るときに奥さんが着付けを直された瞬間、木村さんは居合抜きの如くカメラを取り出して2~3枚シャッターを切ったそうだ。
 これは、やはり木村さんが、人格を描き出すことができない決まり切ったポーズで池田首相の写真は撮りたくなく、かといって
 依頼の仕事はちゃんとこなさくてはならないということで、わざわざ助手の田沼さんを箱根に呼び出したのではないだろうか。
 それでいて、池田首相と奥さんが心通わせる瞬間がきた時に、リアリズムを大事にされていた木村さんが、ここゾと思い、自分で
 ”生身の人間としての池田勇人氏”を撮り、印画紙の上で池田勇人氏の心の内側、人格を描きたかったのではなかろうか。