心の余裕と写真鑑賞

 京都に引っ越した頃の2015年は、仕事が最高潮に忙しく、それ以前から写真を撮ったり観たりすることは非常に好きではあったけれど、平日の午後5時以降に仕事のことを一切忘れて写真やその他の趣味に浸り切るなんてありえないことだった。

 ’19年6月に縁あって今の会社に転職。環境が大きく変わり、社内の人々、前職でお付き合いがあった取引先、新たな客先で知り合った人々も含めて、本当に「人」に恵まれた。以前のように、仕事が終わった後も心の中でその日の仕事のことや次の日以降の仕事のことばかり考えている状況はなくなった。平日の夕方に、ON,OFFを確実に切り替えられるようになったことで、心に余裕が生まれるようになり、それは広がり続けている。そのような気持ちになれたのは、家族をも含めて、全て今関わり合いのある皆さんのおかげ。本当にとても感謝している。

 コロナ感染拡大という影響もあって、現実にはちょっと大変だった時期もあったけど、転職して3年経った今、コロナからの回復もあって、平常に戻りつつあり、平日でも余暇を楽しめる状況が広がってきて、仕事の後にギャラリーに行って、写真鑑賞してみたいという思いが強くなってきた。

雪の刻

 昨日のお昼の休憩中、最初に平日鑑賞を楽しむのはどこがいいかと思っていた時、いつもよく見るTwitterのTLにおいて、中井菜央さんのツィートに目がとまった。中井さんはFollowしていなかったが、フォローしている赤城耕一さんやNadarさんが”いいね”していたので画面に表示されたのだろう。申し訳ないが、中井さんのことは存じ上げなかったが「雪の刻」というタイトルがとても気になった。リンクをクリックしたら、屋根から降り積もった雪の塊がドサッと落ちる瞬間をとらえたような写真が現れて、解説から新潟県の豪雪で有名な津南町で撮られた一連の作品がPUPLEで展示されていることを知った。津南町は新潟であり、北陸三県とは異なる場所ではあるが、私自身、津南町と同様に、冬将軍がシベリアから日本海を渡って連れてきた大量のドカ雪に閉ざされた厳しい冬を子供の頃に体験しているので、何か心に響くものがあるかもしれないと思って、早速見たくなった。

中井菜央 雪の刻 at PURPLE

PURPLE

 展示されている場所、PURPLEは、比較的最近京都に出来た本と展示とイベントの空間。昨年私は京都市東山区に引っ越したのであるが、’15年から昨年3月までは油小路通りと六条通りが交わる近辺に住んでいたので、PURPLEはかつての家からまっすぐ上がった位置にあり、こちらの近くにある若菜屋 御池本店にお菓子を買いに行ったりしていた。烏丸や河原町など京都市街の一番繁華なところから少し外れていて二条城に近く、喧噪から離れて写真の展示や写真集をじっくりと観られるよい空間だと思った。

PUPLE

雪が律する時間

 中井さんの作品を拝見して、まず印象的だったのは、雪が画面に写っていない写真もあったのだが、雪のない情景でも、その背後に雪があるように感じたことだ。

 私は高校を卒業するまで、神奈川県相模原市に住んでいたが、幼稚園、小・中・高の夏、冬、春の長い休みは、両親の実家がある石川県金沢市の東山と尾張町の辺りで過ごすことが多かった。能登半島や白川村、九頭竜川上流部など、白山連峰や立山連峰が見える場所によく出掛けていた。

 地球温暖化の影響で今の金沢ではまずそういうことはなくなったが、私が幼少期だった当時(’70年代)の金沢は冬の豪雪がまだまだ激しく、母の実家の玄関から出入りできずに、2階の窓から外に出たことがあったという記憶が鮮明に残っている。

 豪雪によって電車の中に閉じ込められたこともあった。中学2年の正月休みに、家族で新幹線に乗って米原まで行き、そこから金沢行きの特急加越号に乗り換えようとしたが、北陸線のホームには1メートル以上雪が積もっていて、あまりの積雪で特急が動いていない。数時間待っている間にラッセル車による除雪が完了して、ようやく各停の列車だけは動くようになったので、それに乗車して金沢方面に向かった。ところが敦賀駅の手前でその電車が立ち往生。線路両側に積もっていた雪が崖の上の方から崩落し、行く手を完全に塞ぎ、そうこうするうちに後方でも崩落。列車は完全に閉じ込められた。この時は、このままもう外に出られずに凍死するのではないかと、結構な恐怖を感じた。そこでまた3,4時間待たされ、少し天候が回復した間に敦賀駅からやってきたラッセル車がどうにかこうにか除雪。なんとか敦賀駅までは辿り着いものの、その少し前から再び猛烈な降雪が始まり、駅に電車が滑り込んだ直後に、北陸線全線ストップ・復旧見通し立たずというアナウンスが流れた。敦賀駅に到着して、父はすぐに電車から降りて走って改札方向に向かった。今のようにスマホでホテルを予約できる時代ではなかった。周辺のホテルの部屋をとろうと走ったのだ。しかし、皆考えることは同じで、敦賀駅に先に入ってきていた別の列車の乗客たちに先を越されていた。結局一晩を電車の中で過ごし、金沢に着いたのは米原を出てから34時間以上経った後だった。

 そんな経験をしたことがあったので、夏の浅野川で毛鉤釣りをして、上流方向に見える白山連峰を眺めると、暑いのになんだか真冬にすべてを閉ざしてしまうあのズッシリと重みのある積雪を思い出すことがよくあった。

 中井さんが雪が律する時間の中で、一連の写真によって紡ぎだれた素晴らしい物語とはちょっと異なってはいるが、幼少期から高校生の頃までの間に幾度となく「雪が律する瞬間」を目の当りにしたことがある私には、「雪の刻」の写真一枚一枚が、なんかこう心にグッとくるものがあった。

ズッシリと重たい雪

 私が幼少期に体験した北陸の雪と、大学4年間を過ごした札幌の雪は、同じ雪ではあるのだけど、雪質がまるで異なる。同じH2Oで出来ているのに、北陸のはベッチャリとしていて所謂ボタ雪。雪の一部に雪になり切っていない水または雪が一部解けた水が混ざっている感じ。一方、札幌の雪は完全に氷ついている感じ。札幌の近くのニセコの雪は、豪州のウィンタースポーツファンを魅了しているパウダースノー。その人気の理由は、パウダースノーには氷になり切っていない水はなく、完全に乾いた氷の細かい粒々だけで構成されているからだろう。これは、新潟や北陸三県の雪とは全く異なっているのだ。

 「雪の刻」の一連の写真が紡ぎ出す物語においては、シベリア大陸の乾いた北風が、日本海を渡っている間にこれでもかというくらいにタップリと湿気を抱きかかえ、日本海側の海岸線付近から徐々に上昇気流となって、その水分が雪になりつつ一部「水」を残しつつ、津南町の上空で一気に”ボタ雪”となって大量に降り積って圧し掛かる…..そんなズッシリとしたとても”重たい雪”が重要な構成要素になっていると感じた。

ポツンと感

 「雪の刻」の一連の写真において、とても印象的だった一枚は、真冬の葉が一枚もない乾いた薄ら寂しい木々と雪しかない山中の谷あいに佇む小さな集落が描かれた写真。大きな写真の画面中央付近に「ポツン」と小さく存在するその感じが、まさに雪が律する時間そのものという気がした。身動きがとれないその感じから、人間の小ささとあまりに強大な自然の存在が画面から滲み出てきていた。それが幼少期の私の記憶をよび覚ました。私にとって北陸といえば、まずは城下町の金沢で、そこには”ポツンと感”はない。一方、福井県の白山連峰の麓の豪雪地帯の山中に行ったことがあり、まさに中井さんのこの写真と同じ感じの谷あいの集落をいくつかみて、ここに住んでいる人たちは大雪を一体どうやって凌いでいるのだろうと思わされたことがあった。その情景を思い出しつつ、一時じぃ〜〜っとその小さな集落に見入ってしまった。

雪の恵と畏敬の念

 「雪の刻」においては、雪がもたらす恵も重要な構成要素だと思った。冬の間、すべてを覆いつくしてしまう津南町の雪は、そこに住む人々とっては怖い存在でもあるかもしれないが、同時に大切なものでもある筈。津南町の場合、私が何度も行っている金沢や能登と比べると雪解けのタイミングは遅いだろう。それでもきっと5月になれば冬の間すべてを閉ざしていた雪が解けて、それは大地を潤す清らか流れとなり、田畑やそこに生きる全てのもの達になくてはならないものだし、更に流れ下って豊富なミネラル分を日本海に注ぎ込み、豊かな海産資源を生み出し、そしてまた冬になるとシベリアからの北風にのって津南町に帰ってくる。まさに自然が生み出す壮大なるサイクル。中井さんの「雪の刻」の一連の写真からは、雪の怖さ、雪の大切さ、雪が生み出す恵とそれに対する地域の人々の畏敬の念のようなものも感じとることが出来るような気がした。冬場において厄介な存在になってしまうかもしれない雪は、その一方で大いなる恵みをもたらすとても大切な存在であり、もしかすると大昔から信仰の対象になっていたかもしれない….そんな考えも喚起されるような気持で写真を拝見していた。

続編はあるのだろうか?

 「雪の刻」の続編はあるのだろうか?

 もしなくても、中井さんが複数の写真を絡めて紡ぎ出す物語にはとても感動させられたので、雪以外のテーマの作品展示も今後是非拝見したいと思った。

 Twitterの画面上で偶然見つけて今回PURPLEにお伺いしたが、才能溢れる写真作家さんの素敵な作品に巡り合えて本当に幸運だった。今後、中井さんの別の作品も見られることを今から楽しみしておきたい。

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